YouTubeなんかの動画を見てる時に、昔体験した経験を思い出す事ってありませんか?
僕は心霊系の動画やブッシュクラフト系の動画、格闘技系の動画をよくみるのですが、心霊系の話を聞いている時に、結構昔の体験を思い出したりします。
僕は非現実的な体験ってすぐに忘れちゃうので、この記事に、思い出した話を書いて行こうかと思います。
一個人の体験なので、どの話も起承転結があるような話ではないので、気軽に読んでください。
僕が20代後半の頃、杉並区阿佐ヶ谷で1人暮らししていた時の話、
当時、休日だったかな、部屋でTVかネットをしていた時に、玄関のチャイムが鳴った、僕が借りていた部屋は、駅から近くさらに雑居ビルの3階にあった事もあり、普通のセールスの人が来るような所ではなく、年に数回程度しかチャイムが鳴る事がないので、なんだろうかと思いながらもドアを開けてみた、
すると開けた先には20代中から後半の女性が1人立っていた、話を聞くと、隣の部屋で友達と麻雀をするのでうるさいかもしれないので、先に話を通しにきたようだった、
僕は騒音は対して気にしない方なので、そうなんですか、全然構いませんよ、と返し、話を終わらせようとしたが女性は、良かったら一緒にやりませんか?と麻雀を誘ってきた、僕はその提案を丁寧に断り、その場は終わった。
しかし、少し経ってから思ったのだけど、若い女性から麻雀に誘われる?それも初対面の人を誘うか?そして特に予定もなかったのになんで僕は断ったの?女性と知り合うチャンスなのに、少し自分の行動を不思議に思いつつさらに思う
僕が住んでいる3階には、部屋が3つあり、一つは僕、一つは何度かみた事のあるおばーちゃんの1人暮らし、もう一つは30代の男性が入っているはず、あの女性は何処の人なの?30代男性も1人暮らしのはずだし・・・・・
今思い返しても、麻雀の音もしなかったように記憶している、
あれは一体なんだったのだろうか??
僕が小学生の頃の話、当時小学4年か5年だった、当時住んでいた苫小牧のしらかば町の家から20分ほど歩いたところに模型店があり、当時ガンプラブームって事もあり、度々その模型店に足を運んでいた、
その時は1人で模型店を目指し歩いていたのだが、僕の耳元、たしか左耳だったか、
遠くから呼ばれるような音量で「おーい」という声が聞こえた、遠くからの声のはずなのに耳元で言われたような聞こえ方だった、僕は、呼ばれたと思い周りを見渡してみたが、前方の100Mほど先に人が歩いているくらいで僕を呼んだ人は見当たらなかった、あの声は一体誰が僕を呼んだ声だったのか、今でも不思議に思う。
僕が小学校低学年の時に父方の祖父母が市民会館の住み込み管理人になった、その会館では、苫小牧市民の趣味のサークルや、葬祭場として利用されていたが、スケジュールが入っていない日などは、子供の良い遊び場所として良く遊ばせてもらっていた。
僕ら兄弟はよく、従兄弟連中と連休中や夏休みなど会館で遊ばせてもらっていた、この会館を主に管理していたのは祖母で、祖母はお寺の娘だった事もあり所謂霊感のある人だった事もあり、この会館では色々と体験していたようだ。
例えば、葬式が入る前日には、お知らせ来るらしく、葬式が入ってくるのわかるとか、会館の掃除中に誰もいないはずなのに人影を良く目撃していたようだ。
僕ではないが、僕が喘息気味で部屋で休んでいる時に、従兄弟と兄が会館で遊んでいた時、兄たちが管理人部屋に来てさっきこっち来たか?と問われた事がある、話を聞いてみると会館の広場で遊んでいる時に従兄弟の視界に白い人影が映り僕じゃないかと聞きに来たようだった、僕は普通に椅子に寝転がっていたので、違うと答え、じゃぁあれは幽霊?って話になった。
他に、かくれんぼをしている時に、掃除道具を入れている階段下に設置された倉庫に従兄弟が3人隠れている時に、中は暗くてシルエットで人影見える程度の中、シルエットは3人分のはずは、倉庫の中には4人分のシルエットがあった事もある。
僕自身が経験した事で言えば、お盆あたりか会館に親戚が集まり、会館の炊事場で親たちが何かを作っている時、会館の広場あたりに白い人形の影が歩いているのをみた事、
別の日になるが、僕が中学生の時か、歳の離れた妹と弟が暇そうにしていたので、会館の玄関(会館の玄関はとても広く子供が遊べるだけの広さがある)で遊ばせようと2人を連れて玄関に行き、遊ばせている時にガラスが激しく割れるような音が響き、3人とも驚きシーーンとしたところで、変に怖がらせるのも何だから、平静を装い戻るか?言い玄関を後にした、小学生の頃からオカルト系は好きだったので、あの音が所謂ラップ音である事にはすぐに気づいた、当然ながら、何かが割れた形跡は全くなく、あれほど大きな音のラップ音を聞いたのも初めてであれはビックリしたね。
僕が小学生から高校卒業まで住んでいた、しらかば町の家は普通に不思議な事が起きる家だった、間取りも少しおかしく一階は居間の他に部屋が2部屋あり2階に2部屋あるのだが2階の間取りが少しおかしい、階段を上がってすぐに部屋がある、普通の間取りならば階段を上がると通路があり通路にドアが二つありそれぞれの部屋へ繋がっているのが普通だと思うが、この家は階段を上がるとすぐに部屋になり、上がって右に二つ目の小部屋の引き戸がある。
北海道のような寒冷地でこの間取りは暖房的におかしい、特に上がってすぐのこの部屋は大体淀んだ空気に包まれている、この部屋は兄が使っていたが、よく金縛りに遭っていたようだ。
僕は小学生低学年の頃は下の部屋、この部屋では特に異変はなく過ごせたが中学になってから2階の小部屋の方に移ってからは度々おかしな経験をすることになる。
中学生の頃、部屋で試験勉強をしている時に、時間は夜の1時頃かな、ギシ、ギシって階段をゆっくりと上がってくる音が聞こえるのだけど、実際には誰も上がってきていない事が度々あった、一階の部屋ではなかったのにこの部屋で寝ていると良く金縛りにもあった、
ひどい時には、下の居間にいる時に、ドン、ドン、ドン!と強めの音を立てて誰かが2階に上がって行く音がした事がある、僕は直感でこれは人が上がった音ではないと感じ、怖いので確かめに行きはしなかったが、数時間後に普通に兄が帰ってきた事で僕の直感が正しかった事がわかった。
この部屋に移ってから、度々悪夢をみるようになった、初めは風邪などで体調が悪い時、僕が部屋にいる時に階下から、塩水で濡れた髪、鬼婆のような顔に和服、肌には少し鱗のようなものが浮いていた気がする、その女がゆっくりと階段を上がってくる、僕は恐怖ですぐにでも逃げ出したいのに、脇腹が異常に痛くなり身動きが取れない、夢の話なので上がってくるこの女が見えていたりするのでさらに恐怖が増す、大体上がり切る前にこの夢は終わるのだが、この同じ夢をよくみるようになった、最初は体調が悪い時くらいだったが、この悪夢は体調が悪くない日まで見るようになった、次第に僕はこの女を磯女と呼称するようになった。
この磯女の夢は高校を出るまで続いたが、高校を出て、東京に移り住んでからまったく見る事はなくなった。
思春期特有の精神状態が見せた悪夢なのかもしれないが何故に恐怖の対象が磯女なのかが謎である。
僕が高校生の時に、バイトをしてテレビとビデオデッキを購入して部屋に設置していたのだが、たまに勝手に電源が入ったり、チャンネルが変わったりとしていた、霊的な現象なのかとも思ったが、当時、ダンプカーなどで違法な強い電波を使った無線機が流行っていた事もあり、これは無線の電波による影響って事にしておいたが、実際の所、無線の電波でテレビのチャンネルや電源に影響を及ぼす事が出来るのか今でも分からない。
阿佐ヶ谷に住んでいた頃、この部屋は、駅から歩いて10数分かかる風呂無しの部屋だった、貧乏暮らしのきつい経験や彼女との楽しい思い出がある部屋で今でも思い出す事がある、この部屋で一度、夢にしては変わった夢を見たことがある。
その夢は所謂、臨死体験の夢だ、小春日和のような気温、目の前一面に黄色い花畑が広がり全てのポジティブな感情が一気に溢れかえる多幸感の中にすっっごい懐かしく涙が出るような感覚が混じった幸せすぎる感情の中、場面が徐々に移り、その中に亡くなったばーちゃんを見つけた、そこにはばーちゃん以外にも人がいるのだけど、僕の意識では、見ることは出来るけど、そこに行くことは出来ないと理解していた、理解した事で僕はまだこの世界に戻ることは出来ないんだなぁと凄い悲しく感じたことと、もしあそこに戻れるのなら全てを投げ打っても戻る価値があるのではないかとも考えてしまうが、寿命をきちんと全うしないと行けない場所じゃないのかとも考える。
夢でみたあそこが死後の世界、天国だとするなら、これから行く人が少し羨ましいとも当時は考えたが、今では現世で頑張って生き抜いたご褒美として、あの暖かく心安らぐ場所に戻れるのだと思うようになり、自分の生死感に強い影響を与えた謎の夢だった。
僕が阿佐ヶ谷に住んでいた頃、僕が住んでいた雑居ビルは、商店街の入り口付近にある、この商店街は、七夕祭りなので使用される屋根が付いている商店街だ、確かパール商店街だったかな、ある日僕は、この商店街をプラプラと歩いていたのだけど、歩いている時に周りの空気感が変わった事がある、基本鈍感な僕は空気感が変わった事は理解したが深く考えないでそのままの歩調で歩いていたが、顔に薄い空気の粘着質の膜のようなものを突き破った感覚を覚えた、当然普通の商店街の道で僕以外の人も普通に歩いているのだが、この謎の膜を破った感覚は僕だけが感じたようで周りの人はいたって普通に歩いている。
個人的にすぐに、違う次元にでも移ったか?別のパラレルワールド世界に移行したのか?
などSFチックな事を考えたものだ、実際の所、移ったにしても記憶自体が変わっている可能性もあるので、どっちであっても日常が続くだけでしたね。
ひとまず、今思い出せる話はここまで
2023年5月24日追加
僕が20歳くらいの頃、某アニメーション学院に通うために、新聞奨学生を利用した時の話、奨学生には、千葉県の配達所近くにアパートを用意してもらいそこで暮らしながら朝3時頃に起き朝刊配達を行い、家に戻ってから専門学校にかよい、学校から戻ったら4時頃から夕刊の配達を行うという生活になる。
僕があてがわれた部屋は、普通のロフト付きの1Kのアパートで、新聞奨学生としては結構良い部屋だった、普通は、築30年のボロアパートとかなんだけどね
そこは一棟借りではなく、僕と同時に入った奨学生、1人ひとり別々のアパートが用意されていたようだ、僕の横には、大学生かフリーターの若い女性が住んでおり、たまに彼氏を連れ込み、大きめの喘ぎ声を出していた、まだまだ若かった僕としては、中々楽しい環境でしたね、結構美人な人だったからね
さて話を戻そう、この部屋は越してきた頃には特に何の怪異も起きない至って普通の部屋だったのだが、いつしか、オカシナ家鳴りが起こるようになってきた、どんな家鳴りかというと、トン、トン、トンなどリズムをとるような音だったり、少し楽しげな感じなのだ
初めは気にするほどの頻度ではなかったんのだけど、一度、部屋で金縛りにあってからはその頻度が上がってきたように思う、ある日の夜、僕が寝ている時にまたリズミカルな家鳴りというかこの時は、子供がピョンピョン飛び回っているようなリズムと音に見舞われた、ある程度慣れてきていた僕は、特に気にしないで目を瞑り寝ようと努力していた、
しかしこの日はなぜかいつもよりも楽しげな感じでリズム音だけでなく、寝ている僕の目の前、顔の直ぐ近くに何かが現れた気配がした、試してみると分かるが目を瞑っていても意識がある時に何かが目の前、鼻先1センチ位に来ると強めの気配を感じとる事ができると思う。
流石にいつもと違う流れだったので、少し恐怖を感じていた所、その気配から僕の顔に空気のようなモノを当てられた、僕はその瞬間、その存在からオナラを顔にかけられたと思い恐怖よりも怒りが勝り「ふざけるなこの野郎!!」とその存在に対して怒鳴りつけた、その夜以来、なぞの家鳴りはピタッと起きなくなった。
今でも判らないんだけど、あれは、本当にオナラだったのだろうか、もしかしたら顔を近づけてフッと息を吹きかけたのかもしれない、あれは明らかに子供だったから怒鳴った事で逃げたのだろう、もしかしたら座敷童になり得た子だったかもしれない・・・
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